逆動機殺人事件

 

分かりませんね。
 とにかく、電気を点けたわけです、我々は。荷物用エレベーターと非常階段のほぼ真ん中あたりにスイッチがあるんです。岡津が点けました。確か。
 それでびっくりしたんですよ。と言うより、最初何がなんだか分からなかった。明かりが点いてみれば眩しく、慣れるまでにしばらく時間がかかったんですが、通用口の方に、つまり、岡津以外は事務所に入るそちらに向かっていたわけですが、足を投げ出しているやつがいる。

でしたね。廊下も何も。エレベーターの明かりがその開いた部分だけ照らしていて、なんとなく気味が悪かったですよ。
 いえいえ、消したのは、おそらく犯人ですね。管理人さんの話だと、11時過ぎてどこのテナントにも人がいなくなると消すそうですから。
 どうして消して行ったかですか? わかんないですよ。万が一見回りにきた管理人さんと鉢合わせしても暗ければそれだけばれる心配がないと考えたからじゃないですか。顔を見覚えられないように、とか。明かりを点ける際に隠れたりする間もできるでしょうから。
 気になりますか? まあ、言われてみれば、どうして廊下の電気まで消したのか、ちょっと犯人の心理は

です。
 正面の方からの地下通路は、そのまま駅の地下道に通じるから、つまり、犯人は、そこから人に紛れて逃げたんじゃないかと思われます。8時から9時の間に逃げたものと考えられていますから。ですよね。
 どうも。
(注ぎ上手だなあ。まあ、老人の口に入る相手だから、飲む量も俺の方が多くて当然と言えば当然だけど……いやいやもっと飲ませてやろう)
 どうぞ。
 ああ。肴がきた。ええ、大丈夫です。食べられますよ。肝臓の方はご多分にもれずひっかかっていますが、胃の方はいたって丈夫です。
 それで……ぼくたちが3階に着いた時には、真っ暗

下出入り口も閉まります。それぞれ1箇所ずつしかありません。我々が行ったのは9時頃でしたから、管理人室の脇1箇所だけが、あのビルの唯一の出入り口になります。
 で、ぼくたちもそちら側にある荷物用エレベーターで上りました。
 エレベーターは他に2基あって、両方とも正面フロアに並んであります。もちろん、すでに停まってました。ええ、9時までは、そのうち1基だけが動いています。地下へ行けるように。
 非常階段ですか? 荷物用エレベーターと正面フロアのエレベーターのすぐそばにあります。地下へはどちらも行けますけど、荷物用は、機械室へしか通じていませんから、そこから外へ出ることはできないはず


 ところが岡津は「どうしても見に行こう」と言うわけです。今にして思えば、虫が知らせたのかもしれませんが、あの時は「こちらが勝手に帰ったと思われちゃ困る」と「とにかく迎えに行った事実を残す」ことにしたんです。岡津はそういうやつなんです。
 驚いたことに、1階の裏口にある管理人のおじさんは、まだ村上は帰っていないと言うんです。岡津の得意げな顔が浮かびます。
 そんなわけで、岡津を先頭に、3人で3階へ上がったわけです。
 この時間ですか? 出入り口は、管理人室の脇1箇所だけです。8時を過ぎると、正面と、もう一つある通用口というか裏口が閉まります。9時過ぎると、地

のも岡津なんですけれどね。「遅い。何やってんだ、あいつは」とね。
 それでも10分くらい待って、とうとうぼくたちも腰を上げたわけです。人待ちで酒を飲んでもちっともおいしくありませんものね。なんだか冷めるばっかりなんですね。
 佐藤なんかは「もう一人で帰ったんじゃないんですか」と言いましたよ。そりゃそうですね。
 あれから1時間以上。村上も肝臓をやられてましてね。あまり飲んじゃいけない。それに、この店から駅に向かう途中に会社の入っている雑居ビルがあるわけなんですが、その時も、ぼくらの会社のある3階の窓は真っ暗でした。とても人のいる様子はありませんでした。佐藤もそれを見越して言ったんだと思います。

 食べるものもありませんが、何か頼みましょうか。ぼくは……
(何にしようか、向こうさんは何も要らないって言うし、一品だけ頼むのもなんだし……ああ、酒がきた)
 あのね、それから追加ね。あっさり揚げ出し豆腐にニラ玉。
(それほどあっさりでもないか)
 おっとっとっとっと……。お注ぎします。相変わらずよく入りますねぇ。
 え? ああ話の続きですね。ええ、どこまで話しましたっけ。ええ。
 そうそう。村上もすぐ戻ると言っていたのに、9時過ぎても全然来ないんですよ。ここで痺れを切らした

きなかったはずです。
 そう思うと……。
 もちろん悔やみきれないことですし、ぼくらのせいであるわけでもないんですが、つい、そんなことも考えちゃいますね。いや、ぼくだけじゃなくて、岡津も佐藤もそうですよ。
 岡津なんて、始めに止めた張本人なんですから、なおさらですよ。会うたびに、どうしてあの時もっときつく止めておかなかったのかって、そればっかりですよ。
(おっと、酒が切れた。うーん、まだお互い飲めそうだな)
 すんませーん。ここ、お酒2本ね。熱燗で、もちろん。

は来週から出張する予定だったんです。あの日は金曜日で、次の土曜は、村上は休みだったわけです。その出張用の書類で、どうしても持って行ってもらいたいものがあったということなんです。宅急便で送らせりゃよかったんですが、どうしても月曜の午前中に届けたい、と。村上は朝一番だったんで、それはもう間違いなく届けられたわけです。
 次の日が土曜日だったんで、ぼくたちもつい、待つことにしてしまったし、村上も書類を取りに戻るしかなかった。なんだか、運命の糸って言うのか、天の配剤って言うのか。あの時、一緒に付いていってやれば、こっちは4人なんですから、きっと村上も殺されずに済んだに違いないと思うんです。あるいは翌日の土曜日を出勤日に振り替えておけば、ああいうことは起

ます。
 あの時ですか? あの時は、村上は、確か「ちょっと待っててくれ」とそう言っただけだったと思います。「一緒に行こうか」、つまり、もう帰ろうかというつもりだった岡津の言葉を抑えて行きましたからね。もう2時間近く飲んでるんですから、ほぼ適量ですわね。
 しかし、「まだ8時じゃないか」と言われればそれまでで、結局ぼくたちは、待つことになりました。どうも9時過ぎまで飲む癖がついているんですね。それが分かってるから菅野さんもこの店へ電話してきたんだと思います。
 どうしてわざわざ書類を取りに行かせたのか、ですか……。はっきり聞いたわけじゃないんですが、村上

ったか。まあ、世界が違うからな)
 あの日も、この席で、4人で飲んでたんです。知ってるかどうか、佐藤って若いのと、何年か先輩の岡津とぼく、それから例の……村上の4人だったわけです。
 飲み始めたのは6時頃からでしたか。村上が呼ばれて出て行ったのは、確か8時頃でした。ちらっと時計を見たのがそんな覚えなんです。
 呼び出したのは、村上の上司の菅野って課長でした。村上がそう言ってたんです。「菅野の野郎に今時分用を言いつけられちまったよ」とか何とか吼えて行きましたからね。
 どんな用かといえば、どうやら書類を取りに行ったらしいんですね。その後の話を総合すると、そうなり

誰彼となく話してきたものですから。
 ええ、いいですよ。
(ふう。酒も入ってることだし、何を話題にしたものか悩んでいたとこだっけ。ちょうどいいかも)
 やっぱりあの日も、この店で飲んでたんですよ。ここが最近では定宿みたいになってるんですよ。ほら、あっちで飲んでる二人。カウンターにいて、ぼくらには気がついていないみたいだけど、ほら、大きな声では言えないけど、てっぺん禿げが並んでいるじゃないですか。あの二人はわが社の管理職ですよ。向こう側の人は、以前、ぼくの直の上司でもありましたけどね。こっちの人は取締役……取り締まられ役ってね……。
(ちっとも笑ってくれない。愛想笑い程度。うけなか

第一章


 ええ? ああ、あの事件は、まだ捜査中ですよ。犯人は逃亡しているんですから。少なくとも、ぼくの耳には、逮捕されたというような話は伝わっていません。
 ええ、ぼくも現場に立ち会った一人です。誰に聞きました? え? 秘密……ですか。
 どんなって……。
(さんざん警察にしゃべったことをまた繰り返すのか……いい加減うんざりだなぁ)
 いやいや。嫌だってわけじゃなくて、なんとなく、あなたにも話したことがあるような気がするんです。

逆動機殺人事件

ある雑居ビルで殺人事件が起きる。
果たして、ビル荒らしがたまたま現場で鉢合わせした上での殺人事件か。